三重県松阪市で、乗用車とトラックが正面衝突する事故が発生。
事故により、乗用車に乗っていた70代の夫婦が死亡。
76歳の男性運転手と73歳の妻が全身を強く打ち、病院に運ばれるも間もなく死亡。
トラックを運転していた52歳の男性は右足の骨を折る重傷。
警察は、事故原因を調査中で、いずれかの車両がセンターラインをはみ出した可能性を考慮。
三重県松阪市で、乗用車とトラックが正面衝突する事故が発生。
事故により、乗用車に乗っていた70代の夫婦が死亡。
76歳の男性運転手と73歳の妻が全身を強く打ち、病院に運ばれるも間もなく死亡。
トラックを運転していた52歳の男性は右足の骨を折る重傷。
警察は、事故原因を調査中で、いずれかの車両がセンターラインをはみ出した可能性を考慮。
女優の田中道子が19日に自身のインスタグラムを更新、腕にやけどを負ったことを明かした。 自身のストーリーズに黒ずんだ腕の写真を掲載。「ドライヤー爆発して腕持ってかれた…家に軟膏も無いしヒリヒリする…火傷(やけど)に詳しい人これどうしたらいい?」とフォロワーに呼びかけつつ、「髪びしょびじょで寝るの風邪ひきそうや」と記した。 「皆様アドバイスありがとうございます」と約1時間後にフォロワーのアドバイスで応急処置した写真を公開。「アドバイス通り、冷水でキンキンに冷やしました!」と報告。「アロエもワセリンもクリームも、色々アドバイス頂きましたが、家に本当に何もないので何も塗らずに朝一病院行って来ます。夜分にアドバイスくださった皆様本当にありがとうございました」と感謝を述べた。
「年収103万円の壁」を巡り、自民党と公明党は来年度の税制改正大綱に国民民主党と合意した「178万円を目指して来年から引き上げる」ことを明記する方針を決めました。 与党は20日に取りまとめる税制大改正綱に、年収が103万円を超えると所得税が生じる「103万円の壁」について「123万円」に引き上げることを明記します。 また、国民民主党と合意した「178万円を目指して来年から引き上げる」ことやガソリン税の暫定税率の廃止についても盛り込みます。 103万円の壁を123万円に引き上げることを巡っては先週、与党側が国民民主党に提示しましたが理解を得られず、協議は決裂しました。 ただ、与党側は税制大綱に明記し、交渉を再開させたい考えです。 自民党 宮沢税調会長 「席を立たれてしまった(のが)我々の立場であります。(協議を)続けたいという意思は示しているわけでありまして、国民民主党さんがそれをどういうふうに受け止めてくれるかということだろうと」 与党は20日夕方に税制改正大綱を取りまとめ、27日に閣議決定される見通しです。
元光GENJIの諸星和己(54)が13日、TOKYO MX「5時に夢中!」(月~金曜午後5時)にゲスト生出演。中尾ミエ(78)に反発する一幕があった。 番組では54歳の若さで6日に不慮の事故で亡くなった女優の歌手中山美穂さんをしのんだ。諸星は「いろんなアイドル見てきたけど、とびっきり美人でした」などと語った。金曜レギュラーの中尾が「何もなかったの?」と諸星に質問すると、スタジオは大爆笑。数秒の間の後、諸星は「一緒に仕事ができたなっていう」と言うと、中尾から「優等生な、お言葉」とツッコミが飛んだ。諸星は芸能界の先輩に対し堂々と「いいかげんにしろよ」と切り返した。
女優で歌手の中山美穂さんが都内で死去していたことが6日、わかった。54歳。85年代のデビューから一気にスターダムを駆け上がり、出演する番組が次々と大ヒットした中山さん。女優業全盛期に歌手としても「日本レコード大賞最優秀新人賞」受賞、7度のNHK紅白歌合戦出場を果たすなど異例の活躍を見せ、「アイドル四天王」「ブラウン管のクイーン」などと多数の異名を持ち、現在まで長きに渡り芸能界で数多くの功績を残した。 1985年、TBS系ドラマ「毎度おさわがせします」のツッパリ少女・のどか役でデビュー。その鮮烈な内容が話題を集め、知名度を一気に高めた。同年6月にシングル曲「C」でデビュー後、瞬く間にトップアイドルとなり、一時代を築いた。以後も主演ドラマの主題歌を自ら歌ってヒットさせ、女優と歌手を完全な両輪とするアイドルの先駆者となった。 87年、中山さん主演のTBS系ドラマ「ママはアイドル」は、最高視聴率28・6%を記録。番組主題歌の「派手!!!」も大ヒットし、愛称「ミポリン」が定着した。出演する番組はいずれも大ヒットし、「ブラウン管のクイーン」とも称された。 さらにアイドルとしての活躍から、工藤静香・南野陽子・浅香唯と合わせて「女性アイドル四天王」とも。「花の85年組」など、数多くの異名がその活躍を物語っている。 今年はデビュー40周年のメモリアルイヤーを翌年に控え、「金髪」に大胆イメージチェンジを図るなど、話題を集めていたばかり。全国ツアーも大盛況だった。 訃報が伝えられたこの日は、開催を予定していた「Miho Nakayama Christmas Concert 2024 in Billboard Live」大阪公演を中止すると公式サイトで発表していた。
2024年に亡くなった著名人の功績と人柄を振り返り、故人をしのぶ同番組は、17日夜に2時間にわたって放送された。 「5月に亡くなった中尾彬さんが、奥さんの池波志乃さんに贈った最期の音声メッセージが公開されたり、香取さんが12月6日に亡くなった中山美穂さんとの思い出を語るなど、貴重なエピソードが多数、紹介されました。故人の懐かしい映像も多く盛り込まれ、SNSなどでも好評でした」(芸能記者) 著名人の生前の功績をいま一度、振り返り、思いをはせた視聴者も多かったようだ。しかしながらXでは《関西なのに上沼さんと慎吾くんの番組放送なかった》《我らが上沼恵美子やのに、関西で放送ないって》《関西でやらんのどういう事や!!?》と、戸惑いの声が続出している。 というのも、この番組は上沼の“ホーム”ともいうべき関西地方では、放送されなかったためだ。 上沼は1995年から2020年7月まで、関西テレビ(カンテレ)系でのトークバラエティ番組『怪傑えみちゃんねる』を筆頭に、関西で多数の冠番組を持ち、根強い人気を誇ってきた。それだけに、上沼がMCを務めた今回の番組が、関西圏で放送されなかったことに困惑する視聴者が多いのも当然だ。 「カンテレはフジテレビ系列です。しかし、17日夜には、東野幸治さんがMCの『ちゃちゃ入れマンデー』と海原やすよ・ともこさんと友近さんがMCの『やすとも・友近のキメツケ!※あくまで個人の感想です』と、通常どおりのバラエティ番組が放送されていました。 関西圏でもTVerなどの無料配信サービスを使えば、視聴可能ですが、『探偵!ナイトスクープ』(ABCテレビほか)にも長年、出演していた西田敏行さんにもふれられていただけに、関西圏の視聴者も、できることならテレビで観たかったことでしょう」(前出・芸能記者) 関西での放送がなかったことについて、Xでは《カンテレと上沼さんって揉めた》と過去の出来事を指摘する声もあがっていた。 「上沼さんといえば、2020年7月21日、突如『怪傑えみちゃんねる』が、3日後の放送回で終了すると発表されたことが大きな話題になりました。終了理由について、カンテレは『コロナ禍で観客をスタジオに入れられなくなったことで、番組を継続していくのが難しくなったため』と発表していましたが、25年続いた番組が、番組改編期の3月や9月ではなく、7月に終了したことに疑問を抱く声が多く聞かれたんです。 これについて、上沼さんは2022年12月、バラエティ番組『アウト×デラックス』(フジテレビ系)にゲスト出演した際『嫌な辞めさせられ方をした』『あんな追い出し方はないと思いますよ』と、カンテレへの不満を漏らしていました。その後も、テレビや雑誌のインタビューで、カンテレへの愚痴を語ることも多く、同局への出演は激減。こうした経緯があるため、今回の番組が放送されなかったことで、4年前の騒動を思い出す人もいたのかもしれません」(前出・芸能記者) また上沼がカンテレで“えみ”を見せる日は来るのか──。
2024年12月19日、読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡邉恒雄氏が98歳で死去した。理想の“死のかたち”を14名に語ってもらった『 私の大往生 』(文春新書)から、渡邉恒雄さんのインタビューを公開する(肩書き・年齢などは、いずれも当時のもの)。 主筆室でポックリ死んでいて、秘書に発見される ――93歳(2019年)にして読売新聞グループの代表取締役、そして主筆を務める渡邉恒雄氏。 政治記者として名を馳せ、巨人軍オーナーとなった1990年代以降は世間でも「ナベツネ」としてその存在を知られ、しばしば「独裁者」と称された。しかし今回(2012年)、自らの「死」を語る表情、口調は、そんなイメージからは程遠い、実に穏やかなものだった。 渡邉 理想の死に方、これは達者でポックリ、意識しないうちに死ぬというのが良いに決まってる。この部屋(主筆室)で死んでいて、秘書が発見する。これなんか、いいんじゃないか。 だけど現実的には、なかなかそうはいかない。病死だろうね。 僕が非常に尊敬している、戦後二代前の社長の務台光雄さん。この人の臨終に立ち会ったんだが、病室に駆けつけたのは僕が最初だった。 その時は既に脳死状態で、心臓だけを機械で動かしている状況だったんです。 それで3人の遺族が到着して、機械のボタン押したら、スッと心臓が止まった。 この時、非常に人間の尊厳が冒されてると思ったね。僕は機械的延命っていうのは絶対にお断りだな。 20年くらい前に、Mさんという有名な医師がいて、この人の母親が死んだ時、僕に手紙をくれた。母親が非常に苦しんでいるのを見かねて、ポララミン(アレルギー薬)を静脈注射したら、苦痛なしに直ちに逝けた、つまり人工的に死に至らしめたと。 考えようによっちゃ非道徳的なのかも知れないが、苦しみながら延命させるっていうのは善じゃないと思うね。 だから僕も命を縮めてもいいから、注射を打って苦しまず安らかに、眠るように死なせてもらいたい。 まさに死ぬという時に聞きたい曲 ――もう1つ望みがあるんだ、と渡邉氏は席を立ち、ある箱を持ってきてくれた。その中には「渡邉恒雄葬送曲目集」と書かれた5つのテープが入っていた。 渡邉 音楽を聞きながら死にたいんだ。まさに死ぬ時に聞きたい曲が2通りある。 1つはチャイコフスキーの交響曲「悲愴」。 19歳の時、軍隊に徴兵されて、明日から入営という前の晩に、旧制高校の後輩が10人くらい僕の家に来た。お袋がかき集めてきた「武運長久」というお守りを11枚、みんなの前で火鉢にくべたんだ。こんなバカなものと、お袋には内緒でね。 それを焼いた後、俺の葬送行進曲を聞け、と聞かせたのがこの「悲愴」だった。当時のレコードはSP盤で、手巻きの蓄音機。しかも金属の針がないから、竹を削って尖らせた竹針で聴いた。死に向かう自分にふさわしいと思えるんだな。 もう1つは、(今回の)インタビューの前に考えた。「悲愴」というのは本当に陰々滅々とした、悲劇的な曲。だから、モーツァルトの「ディヴェルティメント第十七番」。これは明るく楽しいから聞きながら死ねば、気が楽だろう。死ぬ直前にどちらをかけるか決めたいね(笑)。 音楽葬テープには、葬式で流してほしい曲が入っている。グリーグのペール・ギュント組曲の「オーゼの死」とか、シベリウスの「悲しいワルツ」とか。そしたら後になって当時の専務が、「渡邉さん、一周忌用作ってきました」とテープ2つ持ってきたんだ(笑)。これがまた、僕のあまり好きじゃないバッハとか、古い曲が多い。「余計なもの作ってきたな」と思ったんだが、しょうがないから一緒にしてあるよ。 ――渡邉氏は東大入学後の1945年に徴兵された。この時、初めて死を意識したという。 渡邉 僕は8歳の時に親父を亡くした。ある日、家に帰ったら親父が入院していて、1週間後に生まれて初めてタクシーに乗って、病院に行った。「おお、恒雄来たか」とだけ、言ってくれたが、それで意識を失って死んでしまった。でも、当時はまだ死というものがよくわからなくてね。何かまだ、どこかに親父がいるような気がしていた。 だから初めて死を感じたのは戦争。あれは全く、死を感じたね。誰だってそうだ、負けるに決まってるんだから。