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“無課金おじさん”パリ五輪エアピストル銀メダルのユスフ・ディケチ選手(51)来日 空港はファンで“すし詰め” 子どもと握手や記念撮影など「神対応」

4日、グレーのスーツ姿で東京都内のオリンピック施設に姿を現したのは、日本でも一躍話題になった“あの”スナイパー。

3日にトルコから来日した、パリオリンピック・射撃混合エアピストルの銀メダリスト、ユスフ・ディケチ選手(51)です。


ディケチ選手といえば、白のTシャツ姿に左手はポケットの中というラフな射撃スタイルから、ついた愛称は“無課金おじさん”。

他の選手が本格的な射撃用ゴーグルやヘッドホンをして試合に臨む中、普通の眼鏡に耳栓という軽装備で見事、銀メダルを獲得する姿が話題になりました。

そんな無課金おじさん、4日は東京・新宿区にある日本オリンピックミュージアムを視察しました。

訪れていた子どもに握手をしたり、お決まりのポーズでファンの記念撮影に応じるなど、ファンサービスが炸裂。

このディケチ選手の神対応は、3日の来日シーンでも話題になっていました。

羽田空港は、無課金おじさんをひと目見ようと集まった日本人ファンで、すし詰め状態に。
プレゼントを持参する人に、ディケチ選手の写真を掲げる人まで。

そんなファンに対し、ディケチ選手は「こんにちは!」と日本語であいさつ。
サインを求めるファンの前に立ち止まり、笑顔で応じます。


その後のインタビューでも、おなじみのシューティングポーズを披露するサービスが。

このポーズをめぐっては、人気にあやかってか、本人ではない別の人物が無許可で商標登録しようとする事態も発生。
ディケチ選手のコーチが商標登録の申請を行ったと現地メディアが伝えていました。

記者たちの心をもつかんだディケチ選手が、今回の来日への思いを語ってくれました。

ユスフ・ディケチ選手:
今回日本に来るのはこれで2回目です。前回東京五輪の時に来たときはコロナ禍で、ホテルと射撃場をバスで行き来するだけでした。今年は街を見たり、皆さまとこうして関われることに感謝しています。

また、日本で“無課金おじさん”の愛称で親しまれていることに対しては、「色々な装備をつけるのは、どうもしっくりこないんです。このスタイルでの射撃が私には合っていて、これぐらいのめがねがあれば十分なんです」と語りました。

無課金おじさんとして、世界中の多くの人の心をつかんだディケチ選手の来日。
滞在中は強化指定選手への特別演習会を開く予定のほか、日本とトルコの親善大会にも参加する予定です。

4日に訪問したオリンピックミュージアムでは、職員らとともに施設の展示物を視察。

ユスフ・ディケチ選手(通訳):
日本人もとても好き、好感を持っています。とても規律ある人々。

ディケチ選手は12月8日まで日本に滞在する予定です。

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