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中山美穂さん元夫・辻仁成氏の「父ちゃんからのお願い」X投稿に「救われました」賛同相次ぐ

芥川賞作家でミュージシャンの辻仁成氏(65)が22日までに自身のX(旧ツイッター)を更新。「無理して好かれなくてもいい」とつづった。

「父ちゃんからのお願い」と前置きした上で「自分が壊れてまで人に優しくするの無し 嫌われたくないからといって、みんなに優しくすると必ず辛くなります」と書き出した。

中山美穂さん元夫・辻仁成氏の「父ちゃんからのお願い」X投稿に「救われました」賛同相次ぐ - 芸能 : 日刊スポーツ

続けて「優しい人と思われなくても生きていける 今がきついなら、やめてよし 無理して嫌われなくていいが無理して好かれなくてもいいのだ」とつづり、最後に「とにかく周りは気にせず生きなさい」と締めくくった。

辻氏の投稿に対し「そうですね。私も…なにかと周りを気にする方。この言葉に…救われました。ありがとうございます。私は…私じゃないけど、自分自身を大切にして行こうと思います」「辻仁成さん。ありがとうございます。無理して好かれなくてもいい。女同士の職場は地獄です。生活のためと割り切って働く私。職場はお友達集団という考えの人たち。そこで溝ができる。職場は決してお友達集団ではないと思います。溝の穴埋めをまたポストで教えてください。溝を埋める必要ないかな?」「今まさにこれです。きついのに仕事断われなくていい人になっちゃって…やれないのにすぐオッケーしてしまう自分。いつもいい人になってストレスたまって体調おかしくなってます」などと書き込まれていた。

元妻の中山美穂さんは54歳の若さで6日に不慮の事故で亡くなった。辻氏と中山さんは2002年(平14)6月に交際8カ月で結婚。03年にパリに移住して、04年1月に長男が生まれたが、14年7月8日に離婚した。

12日には家族葬が行われ、家族と事務所関係者のみが参列した。妹で女優の中山忍(51)が喪主を務め、長男(20)もフランスから駆けつけた。深紅のダリアなど式場全体が花に包まれ、一時代を築いたアイドルの旅立ちを見送った。来年に「お別れの会」を行う予定。

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中山美穂さん急逝 「結婚するために芸能界入り」大ファン公言のTOKIOメンバーにも心配の声

12月6日、俳優の中山美穂さん(54)が東京・渋谷の自宅で亡くなっていたことが分かった。各社報道によると、関係者によって浴槽で亡くなっているのが発見されたという。 同日夕方からは中山さんのクリスマスコンサート「Miho Nakayama Christmas Concert 2024 in Billboard Live」の大阪公演が予定されていたが、昼過ぎに「中山美穂の体調不良の為、公演を中止する運びとなりました」との発表が行われていた。 ’85年のシングル「C」で歌手デビューし、「花の85年組」の一角として絶大な人気を博した中山さん。’95年には映画『Love Letter』で『第38回ブルーリボン賞』主演女優賞を受賞するなど俳優としても活躍した。 突然の訃報に、Xでは追悼の声が広がるなか、中山さんの“大ファン”を公言していたミュージシャンにも心配の声が寄せられている。 《松岡くん大丈夫かな…中山美穂好きだったよね…》 《ミポリンの大ファンの松岡くんとか、、大丈夫かな…いろんなとこで影響起きそう》 《松岡くんはショックだろうな ミポリンのこと直視できないくらい憧れの人だったみたいだし》 そのミュージシャンとは、「TOKIO」の松岡昌宏(47)だ。 「松岡さんは、中山さんが出演した『ビー・バップ・ハイスクール』『ママはアイドル!』がきっかけでファンになったそうで、’18年に放送されたバラエティ番組『TOKIOカケル』で中山さんがゲスト出演した際には、『芸能界に入るキッカケ、”中山美穂と結婚するため”って言ってた』と熱烈な思いを打ち明けていました。さらには、子どもの頃に中山さんと付き合う夢を見たとも。去年にも同じ番組で二人は共演していましたが、松岡さんはやはりデレデレでしたね。中山さんを見て育った多くのファンにとってそうであるように、松岡さんにとっても永遠の憧れなのでしょう」(芸能ライター) 中山さんは’02年に作家の辻仁成(65)と結婚している(’14年に離婚)。当時の松岡は、結婚の報告を“本人”から伝えられたといい、かなり堪えたそうだ。 「松岡さんは今年2月、パーソナリティを務めるラジオ番組『松岡昌宏の彩り埼先端』で、“この人が結婚して一番ショックだった人”に関すエピソードを披露。松岡さんが25歳前後の頃、出演していた舞台終わりに“作家の男性”と食事を共にし、帰り際に男性から『俺、結婚するんだよね』と告げられたそうです。そして、男性の結婚相手が中山さんだと伝えられると、松岡さんは“半泣きしそうになりながら”祝福したと当時を振り返っていました」(前同) 松岡の熱い思いは最近も続いていた。今年10月に松岡が投稿したYouTube動画では、松岡が都内を散策する様子を公開していたのだが、その際にロケ先で履いていたのは……。 「今日だってこれ、ミポリンからもらったサンダルですよ?トキカケ(TOKIOカケル)のときにいただいた」 そう話す松岡の口ぶりは、少年のように軽快だった。今回の訃報に、松岡は何を思うのだろうか——

体操メダリストの村上茉愛さん イケメン夫と結婚式!出席者も豪華…恩師が公開「末永くお幸せに」

体操指導者で1988年ソウルと92年バルセロナの両五輪で団体連続銅、ゆかで銅と銀メダルを獲得した池谷幸雄さんが23日までにインスタグラムを更新。自身の教え子で、21年東京五輪体操種目別ゆか銅メダリストで体操女子強化本部長に就任した村上茉愛さんの結婚式の出席したことを伝えた。 池谷さんは「教え子の村上茉愛が結婚式を挙げました 4歳でうちのクラブに来た茉愛が結婚式を挙げるとは、時の流れを感じます 元IGCのコーチや生徒とも会え、昔を思い出しました」とつづり、村上さんと夫でトレーナーの森田敦士さんの晴れ姿をアップ。「素晴らしい結婚式・披露宴でした これからの体操界を頑張って盛り上げてもらいたいと思います!末永くお幸せに」と祝福した。 集合写真には田中理恵さん、内村航平さん、白井健三さんらの姿があり、倒立でパフォーマンスする体操選手らしい写真も。 またNHKの中川安奈アナウンサーもインスタグラムで「笑顔、感動、そして幸せがいーっぱいの時間でした まいちゃん本当におめでとう りえさんキッズも可愛すぎたっ」を会場の写真を投稿していた。 村上さんは、床運動でH難度「シリバス」を武器に、17年世界選手権で日本女子63年ぶりの金メダルを獲得。21年東京五輪では同種目で個人種目では日本女子初の銅メダルをつかみ、同10月の世界選手権を最後に現役を引退した。昨年2月に森田さんとの結婚を発表した。

元大関・小錦さん、腎不全で妻から腎臓の移植手術…「これからも相撲の素晴らしさ伝える」

大相撲の元大関小錦八十吉さんと妻の千絵さん(2022年6月18日) © 読売新聞 大相撲の元大関の小錦八十吉さん(60)が23日、腎不全を患って妻の千絵さん(48)から腎臓の移植手術を受けていたことを明らかにした。今月4日に手術を受けた後の経過は良好で、23日に入院していた神奈川県鎌倉市の病院で記者会見を開いた。 サンタクロースの衣装に身を包んで元気な姿を見せた小錦さんは、「これからも世界の人々に相撲の素晴らしさを伝えていきたい」と述べた。

【動画】中山美穂さん かつて芸人の浜田雅功にアドバイス求めていた理由とは

自宅の浴室で急逝した歌手で俳優の中山美穂さん。出演したドラマ『もしも願いが叶うなら』では、共演のダウンタウン浜田雅功さんに演技のアドバイスを求めていました。 慣れないコメディー作品に挑戦した中山さんは、転ぶシーンをおもしろくしようと浜田さんにアドバイスを求めながら何度も二人で練習していたといいます。中山さんと浜田さんの息のあった掛け合いが話題となり、ドラマの平均視聴率は17.8%を記録しました。 中山さん自身も「コメディーは共演者と呼吸を合わせることが大切」と語り浜田さんを「本当のお兄ちゃんのようだった」と振り返っていました。 【↑ 上の写真クリックで動画へ】

「もう一度聞きたい」中山美穂さんの“一曲”ランキング 「推したい曲」が並んだ大混戦の15位以降 「なんてカッコイイんだ」とファン衝撃の曲も

12月6日に亡くなった、歌手で俳優の中山美穂さん(享年54)。1985年、「C」でデビュー以降、数多くのヒット曲を発表してきました。そのなかで、もう一度聞きたいという「一曲」は何か、AERA dot.編集部はアンケートを実施。3千超の回答から選ばれたランキングの15位以降は、「ファン以外にも聞いてほしい」と選んだ名曲がひしめく混戦状態に。 中山美穂さんは、1985年に放送されたドラマ「毎度おさわがせします」で彗星のように現れ、同年の初主演ドラマ「夏・体験物語」の主題歌『「C」』で歌手デビュー。その後も、多くのヒット曲を発表しました。 今回のアンケートは12月11~16日にインターネット上で実施し、3333人から回答がありました。 ■15位 未来へのプレゼント(1996年) 15位には同一票で3曲が並ぶ。1曲目「未来へのプレゼント」は、本人主演のフジテレビ系ドラマ『おいしい関係』主題歌でシンガーソングライターの岡本真夜とのコラボ曲だ。 「『おいしい関係』のドラマのストーリーにどっぷり浸かってました。この歌詞を聴くと励まされます」(40代、女性)というファンの声のように、「未来へのプレゼント」は多くの人の支えになってきた。 「あきらめそうな時に元気をもらえた」(50代、男性) 「自身が辛かった時に初めて聴いた歌で、歌詞と自身の思いがリンクし涙が溢れた1曲。今でも応援歌として聴いています」(50代、女性) 「小学生の頃に見ていたドラマの主題歌。今年のコンサートで初めて生で聞けて感動しました。歌詞にも励まされるので、今もう一度聞きたいです」(30代、女性) そして、ファンに勇気や元気を与えてくれた「未来へのプレゼント」を歌う中山美穂さんは亡くなってしまった――。 「今年のライブで歌ってくれました。歌う前のMCで、『歌詞がストレート過ぎるので、歌うことを躊躇することもあった』というようなお話をしていて、本当にいつも自分のことではなく、相手のことを思いやれる人なんだなと感じ、歌声を聴きながら泣いてしまいました。 そんな美穂ちゃんが大好きで、初めてTVで見た時から40年、ずっと追いかけ、ずっと応援してきました。訃報が入った当日のビルボードライブ大阪も会いに行く予定で、突然のお別れがまだ信じがたく、胸が痛いです」(50代、女性)

「中山美穂さん」パリで親交があったパティシエが語った「夜の街を歌いながら歩き」「辻さんと3人で飲んだ」日々

12月6日に急逝した中山美穂さん(享年54)はおしいものを食べるのも、お酒を飲むのも好きだった。通っていたお気に入りの店もいくつかあった。パリのケーキ店、東京の焼き肉店、ラーメン店……美穂さんと交流のあったパティシエや店主らが「食」を通して垣間見えた“素顔”を語ってくれた。 美穂さんは女優として活躍していた2002年、芥川賞作家でミュージシャンの辻仁成氏(65)と結婚。芸能活動を休止して、フランス・パリに移住した。そして04年に長男を出産。14年7月に辻氏と離婚するまで、パリに10年以上滞在した。 パリで美穂さんが行きつけだったのは、吉田守秀さん(47)が経営するケーキ店「MORI YOSHIDA」。同店がオープンしたのは2013年だが、吉田さんは美穂さんとの出会いをこう話す。 「出会いは僕がケーキ店をオープンしてすぐの頃です。知人のつながりで、食事会に誘っていただいたのが最初でした」 やがて、美穂さんは「MORI YOSHIDA」にも来るようになった。 「美穂さんは辻さんと夫婦で来たこともありますし、一人で来たこともありました。辻さんといるときは本当に静かでしゃべらない印象でしたが、美穂さん一人で来店すると、すごく明るくしゃべっていましたね」(吉田さん) 美穂さんと吉田さんは次第に打ち解けるようになり、外に少人数で食事に出かけるようにもなった。 「当時、パリに『みほ会』というのがあって、いろんな『みほ』さんが集まって、食事会を開いていました。そこに僕も入れてもらって、料理を手伝ったり、食事をしたりしていました。美穂さんはワイン好きで、特に白ワインが好みでした。3~4杯飲むとだいぶ出来上がって、それからが長いんです(笑)。みんなで楽しく飲むのが好きで、最初に酔っぱらって、人を楽しませるし、自分も楽しくなっちゃう人。異国暮らしで、いろんなストレスもあったのかもしれません。夜中に帰るときもあったし、朝まで飲んでいるときもありました。家が近所だったので、帰りは辻さんと息子さんが待つ自宅まで送っていく担当でしたね。今思うとかけがえのない時間でした」 お互いを「ヨッシー」「美穂さん」と呼ぶほど仲良くなると、帰り道のパリの夜の街を歩きながら、美穂さんは歌うこともあったという。 「ご自分の持ち歌の中で一番好きな曲は『ただ泣きたくなるの』だと話していました。原曲よりちょっと明るめにアレンジして歌いながら歩く美穂さんの後を、僕がついていくという感じでした」 ■「ヨッシーのケーキだと食べられちゃう」 美穂さんの自宅に着くと、辻さんが迎えてくれ、「せっかく来たんだから飲んでいって」と自宅に上げてもらったこともあったという。 「辻さんと美穂さんと3人で飲んだこともありましたね。最初のご自宅は現代建築の部屋だったんですけど、引っ越した後の家はオスマン調の昔ながらの天井の高いところでした。広すぎて寒いくらいでした」 美穂さんはパリでの生活を楽しんでいたようだ。 「ダンスを習っていると聞いたことがあります。ラテンぽいダンスで、飲みに行くと軽やかに踊っていました。『一緒に踊ろうよ』と誘われたこともありますが、僕は『パティシエは踊らないんですよ』と言って断っていました」  美穂さんとさまざまな話をするなかで、吉田さんには忘れられない言葉があるという。 「僕がわりとストイックにお菓子作りに熱中していて、パティシエ論?みたいな話になった時に、美穂さんがこう言ったことがありました。『ヨッシーみたいにお菓子一本でやってきた人もいるし、お菓子を楽しく作る生活の一部として、パティシエをしている人もいる。どちらも正解なんじゃないかな。パティシエにもいろんなタイプがいて、自分と違うタイプを否定するのは違うと思う。才能がある人もいるし、そうでもない人もいる。いろんな人がいていいんじゃないの』。この言葉に美穂さんの人柄があらわれているような気がして、今となっては余計に思い出してしまいます」 美穂さんは同店のイチゴショートケーキが好きで、それをほおばりながら「ヨッシーのケーキだと食べられちゃうんだよね。なんだか落ち着くわ」と語っていたという。 辻氏との離婚後、美穂さんは再び東京で暮らし始めた。歌手としてステージに立ち、女優としても復活を目指していた。 3~4年前から通っていたのが、渋谷区・笹塚にある焼き肉店「にくる」だ。店長の伊藤信太郎さん(44)によると、美穂さんは「3カ月に1回のペース」で同店を訪れていたという。最初は妹の忍さんが月に3~4回通っていて、そのうち、自然と姉の美穂さんを連れてくるようになったという。 ■焼き肉で好きだったのは「レバー」と「赤身」 美穂さんがいつも座る「指定席」は2階の個室。店の2階へは専用の外階段を使う構造になっていて、誰にも会わずに個室まで行くことができる。個室入ると、美穂さんのサイン入り色紙が飾られていた。 「美穂さんは遅めの時間に来られることが多かったですね。バックバンドのメンバーたちと練習終わりに来られたり。お肉では特にレバーがお好きでした。赤身の肉も召し上がっていましたね」 おしゃべりしながら、お酒も飲んでいたという。 「ワインも飲みますし、ジンベースのスダチのソーダ割りがおいしいと言ってくれていました。それでも2~3杯で、そんなに量を飲んでいたわけではないです。食事中もライスは食べず、野菜を一緒に摂っていて、健康にも気を使っているように見えました」 美穂さんを12歳でスカウトし、芸能界で育て上げた「恩師」の山中則男さんは、美穂さんの好物をこう明かす。 「若い時から肉はよく食べに行ったし、好きでしたね。『毎度おさがわせします』で女優デビューが決まった夜はディナーで、私の事務所の近くの『フォルクス』でステーキとサラダバーをイヤというほど食べましたよ。最高のディナーだったと今でも思っていますし、ドラマの撮影中でも時間があると『フォルクス』へ行きました。最初の海外ロケは写真集『もう一度お騒がせ 一生懸命』の撮影でハワイに行ったんですが、そのときも分厚いステーキをおいしそうに食べていました。他には、ラーメンも好きでしたね。ドラマの撮影では、楽屋にラーメンの出前を取ってよく食べていました」…

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