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中山忍 姉・中山美穂さんの役を引き継ぎ「日本一の最低男」に出演決定…「最初で最後のドラマ共演」

フジテレビは26日、急逝した女優・中山美穂さんが出演予定だった来年1月9日スタートのドラマ「日本一の最低男 ※私の家族はニセモノだった」(木曜・後10時)に、妹で女優の中山忍が出演すると発表した。

同作は俳優・香取慎吾の主演で、テレビ局の報道マンの“最低男”が、不祥事を起こし退社し、世間を見返そうと政治家を目指すストーリー。中山さんは、主人公の義弟が勤務する保育園の園長・園田美奈子(そのだ・みなこ)役で、1月9日の初回と同23日の第3話に登場することになっている。

中山忍、姉・美穂さんの〝代役〟出演「心を尽して演じます」 2025年1月スタートのドラマ「日本一の最低男 ※私の家族はニセモノだった」 - サンスポ

しかし今月6日に亡くなったことを受け、この日フジテレビは「第5話(2月6日放送)にご出演予定だった中山美穂さん演じる園田美奈子(そのだ・みなこ)役の設定を引き継ぎ、鮫島ふみ(さめじま・ふみ)役として」中山忍が出演すると報告。「当初、第5話では中山美穂さんに、主人公・大森一平(香取慎吾)の義弟・小原正助(志尊淳)が保育士として働く保育園の園長・園田美奈子役を演じて頂く予定で、美穂さん演じる園田が物語の中心となる構成でした。しかしながら、美穂さんのご逝去を受け、急遽、美穂さんの役柄を引き継ぐ形で、新しい園長・鮫島ふみ役を作ることになり、ご遺族である忍さんご本人と所属事務所と話し合いを重ねる中で、忍さんの強い希望を伺い、そのご意向を汲み、忍さんに出演いただくことになりました」と説明した。

忍は「姉の不在の存在感の大きさに、現実のこととはとても思えず、ポカンとしてしまう日々を過ごしておりました。ふと、姉が撮影中だったドラマはどうなったんだろう…と、思いを馳せたとき、別れ際にはいつも“あとは忍、よろしくね”と軽やかに去っていった姉の笑顔が心に広がり、シンと冷えた心の奥に沸々と熱いものが湧き上がってくるのを感じました」と回顧。そして「“演じたい”と口にすべきか悩みましたが、最後くらい素直にならなくては後悔すると思い直し、ご相談させていただきました。姉の演じた役を引き継ぐ形で作品に携わることができますことをとても嬉(うれ)しく思っております。香取さんと久しぶりに共演させていただけることも楽しみのひとつです。姉が残してくれた、このご縁を大切に、姉妹での最初で最後のドラマ共演、心を尽して演じます。機会を与えてくださった皆様に感謝申し上げます」とのコメントを寄せた。

同ドラマをプロデュースするフジテレビドラマ制作部の北野拓氏は「当初、第5話では中山美穂さんが演じる保育園の園長・園田美奈子役が物語の中心となる脚本で準備を進めておりました」と明かす。「現場でも積極的にアイデアを出してくださり、主演の香取慎吾さんとの久しぶりの共演も楽しみにされていて、このドラマへの強い思いを感じておりました。この度のご訃報に触れ、スタッフ一同、本当に残念でなりません。謹んで哀悼の意を表します」と悼んだ。

そして「急きょ、一部脚本を作り直し、中山美穂さんの役柄を引き継ぐ形で、新しい園長として着任する鮫島ふみ役を作ることになりました。そのタイミングで、中山忍さんご本人と所属事務所とお話をさせて頂く機会があり、中山忍さんがお姉さまである中山美穂さんと同じ作品に最後にご出演したいという強い希望をお持ちになっていることを伺い、そのご意志を尊重させて頂きたいと思い、今回、お引き受け頂くことになりました」と、出演の経緯を説明した。

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スズキ・鈴木修氏が死去 軽自動車の発展やインド市場開拓などに尽力 トヨタ豊田会長から「お悔やみの言葉」も

世界のスズキを作り上げた鈴木修氏死去 94歳 2024年12月27日にスズキは同社の相談役・鈴木修氏が同月25日に死去したことを明らかにしました。 享年94歳でした。 鈴木修氏は1958年にスズキ株式会社の前身となる鈴木自動車工業株式会社に入社。 1978年には同社の取締役社長に就任。1990年には社名を現在のスズキ株式会社に変更しています。 その後、2000年に同社の取締役会長に就任しますが、2008年には再び同社の取締役社長を兼務。 そして2015年に再び取締役会長に就任し、2021年に同社の相談役に就任しました。 約43年にわたりスズキを成長させ率いてきたことから「カリスマ経営者」としても知られています。 こうした経歴を持つ鈴木修氏といえば、社長就任の翌1979年に最初の勝負のクルマかついまでもスズキを代表する「アルト」が登場したエピーソードは有名です。 その他にも現在、スズキの主力市場となるインドを開拓した立役者でもありました。 かねてから親交のあった豊田章男氏(左) /鈴木修氏(右) また同じ自動車業界で鈴木修氏を「憧れのおやじさん」と慕っていたトヨタの豊田章男会長は以下のようにお悔やみの言葉を発表しています。 「ご逝去の報に接し、心よりお悔やみ申しあげます。 鈴木修相談役は、ご自身のことを『中小企業のおやじ』と言われていましたが、私から見れば、日本の軽自動車を発展させ、国民車にまで育て上げられた憧れのおやじさんでした。 ここからは、親しみを込めて、修さんと呼ばせていただきます。 2016 年の共同記者会見。 修さんは『経営者には“これで一段落”ということはない。経営者である以上、チャレンジすること、社会のために経営をするということは、いつまでたっても変わらない』ときっぱりお答えになりました。 40年近く、スズキのトップを務められ、軽自動車という日本独自のクルマ文化を守ってこられた経営者としての覚悟。 厳しい競争を生き抜いてきた、そして、これからも絶対に生き抜いていくという気迫を肌で感じました。 ご退任を発表されたときの言葉は今も私の心に残っております。 『生きがいは仕事です。挑戦し続けることは人生ということでもありますから、皆さんも仕事をし続けてください。バイバイ』 いつの日か修さんに『ありがとう』と言ってもらえるよう、日本のため、未来のために仕事をしてまいります。 私の憧れの経営者であり、憧れのおやじさん。 ありがとうございました」 ※ ※ ※…

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