「コロッケを片手に交際相手の家に向かったことも」…14歳で家族を支えた「中山美穂さん」の素朴な素顔

『世界中の誰よりきっと』『ただ泣きたくなるの』『ツイてるねノッてるね』などの代表曲や映画『Love Letter』(岩井俊二監督)、ドラマ『毎度おさわがせします』『ママはアイドル!』(ともにTBS系)、『誰かが彼女を愛している』(フジテレビ系)などで活躍した俳優の中山美穂さん。突然の訃報に日本中が悲しみに沈んでいる。 “ミポリン”の愛称で親しまれたトップアイドル 「ミポリン」の愛称で親しまれた、歌手で俳優の中山美穂さん。 12月6日、東京・渋谷区の自宅浴室で死亡しているのが見つかった。54歳だった。 「中山さんはこの日、大阪でコンサートの予定でした。午前9時台の新幹線を予約し、事務所関係者と待ち合わせをしていた。でも、約束の場所に中山さんは現れず、連絡も取れなかった。心配した関係者が自宅に訪れたところ、浴槽に顔を付けた状態だった中山さんを発見したのです。関係者とは朝7時ごろまでメッセージをやり取りしていただけに……」(スポーツ紙芸能担当記者) 1970年生まれの中山さんは、1985年にテレビドラマ『毎度おさわがせします』(TBS系)でデビュー。同年には『C』でアイドル歌手としての活動も始め、1980~90年代に一世を風靡した。 映画、ドラマ、CM、バラエティ番組など、多くの作品にも出演、日本を代表するトップ俳優のひとりだった。 前出の芸能担当記者は、まだ彼女が駆け出しのころの仕事ぶりをよく覚えていた。 「中山さんは芯が強く、誰よりも仕事に真剣でした。それに同年代の子よりもどこか大人びていた。中山さんが10代後半ごろのある現場でのことです。ほかのアイドルたちはキャピキャピと賑やかに過ごしていましたが、中山さんはそこから少し距離を置き、一人で黙々と仕事の準備をしていたのが今でも印象に残っています」(前出の芸能担当記者、「」も) その真摯な姿勢は、「幼いころの家庭環境も影響があるのではないか」という。 14歳で芸能界に―結婚、出産、そして離婚 「中山さんは幼いころに両親が離婚。妹で俳優の中山忍さん(51歳)とともに親戚の家に預けられたこともありました。14歳で芸能界に入ってからは家族の生活を中山さんが支えていました」 前出の芸能記者は、かつて遭遇した中山さんの意外な姿を覚えていた。 「当時、あるタレントとの交際が噂されていたので、中山さんの周辺を張り込んでいました。そうしたら中山さんが商店街のお総菜屋さんでコロッケやおかずを購入して、相手の家に向かったのです」 当時はトップアイドルだった中山さん。あまりにも庶民的な姿に驚いたという。 「複雑な生い立ちで育ち、青春時代を芸能界で家族を支えるために頑張っていた。同年代の女の子とはかけ離れた暮らしを送る中、普通の生活への憧れもあったのではないでしょうか。だからなのか、1990年代前半には仕事の葛藤を吐露することもありました」 私生活では、2002年に作家でミュージシャンの辻仁成さんと結婚。生活の拠点をパリに移し、04年に長男を出産した。 「ですが14年に離婚。中山さんは一人で帰国しました。最愛の息子との別れは苦渋の決断だったそうです。そうした辛い思いや経験をしたこともあり、帰国後はますます仕事に打ち込み、アーティストとしても新しいことに挑戦してきた。そして日本の家族、きょうだいもとても大切にしていました。 特に妹の忍さんのことを中山さんは『大好き』『妹でよかった』とその溺愛ぶりを語ることも。一方の忍さんもテレビ番組で中山さんに『お姉ちゃんが大好きすぎる』とラブコール。ファンクラブのイベントにもすべて出席するほどの“姉愛”を見せていました」 そんな中山さんがオフの時、“かけがえのない人たち”に見せていた“もうひとつの顔”とは――。  

ひき逃げか 軽乗用車と原付バイクが衝突 新聞配達員の男性が死亡 乗用車の運転手は現場から逃走

8日朝、岐阜県瑞穂市で軽乗用車と原付バイクが衝突し、原付バイクの男性が死亡しました。軽乗用車を運転していた人物は現場から逃走していて、警察はひき逃げ事件として調べています。 警察によりますと、8日午前5時すぎ瑞穂市別府で、通行人から「バイクが道路に倒れていた」などと警察に通報がありました。 警察がかけつけたところ、現場に横転した軽乗用車と転倒した原付バイクがあり、原付バイクに乗っていた瑞穂市の新聞配達員・井上哲也さん(53)が倒れていて、井上さんは病院に運ばれましたが、出血性ショックで死亡しました。 一方、軽乗用車を運転していた人物は行方が分からなくなっていて、警察は原付バイクと衝突した後現場から逃走したとみて、ひき逃げ事件として、運転していた人物の行方を追っています。

「誰もいない担架を救急車に載せていて…」中山美穂さんの急死…居住ビル関係者が明かした「緊迫の光景」

”ミポリン”の愛称で親しまれた、歌手で女優の中山美穂さん(54歳)が6日、東京・渋谷区にある居住ビルの浴室で死亡しているのが見つかった。同日夕方からは自身のコンサートライブ「Miho Nakayama Christmas Concert 2024 in Billboard Live」の大阪公演が控えていたが、午後2時ごろに突如として中止が発表。中山さんの訃報が流れたのは、まさにその40分後の出来事だった。警視庁は事件性は低いと見ており、死因を慎重に調べている。 誰も乗っていない担架 「正午すぎくらいに救急車のサイレンが聞こえて、ビル内が騒がしくなったんですよ。その後、外に出たら救急隊員も引き上げる途中で、誰もいない担架を車内に入れようとしてました。だから『何もなく平和に終わったのかな』と思っていたのですが……」 中山美穂さんが亡くなったビルの関係者は、当時の様子を思い出しつつ、そう声を震わせた。 現場となったのは、JR恵比寿駅から徒歩10分ほどの7階建てビルの一室。12月6日に事務所関係者が家を訪ねたところ、中山さんが浴室で倒れているのを発見して119番通報、駆けつけた救急隊員によりその場で死亡が確認された。 中山さんは当日夕方から、自身のコンサート「Miho Nakayama Christmas Concert 2024 in Billboard Live」(自身のコンサートライブ)の大阪公演を開催する予定だった。当日の午前7時まで、事務所スタッフと仕事のやり取りをLINEしていたが、予約していた大阪行きの新幹線に午前9時ごろになっても現れなかったため、複数にわたって連絡した後、自宅に向かったという。 「自宅で中山さんは水を張った浴槽に座り、前かがみの状態で亡くなっていました。部屋は施錠されており、発見時も1人だったということで、警視庁も事件性は低いと見ています。現場の状況から、浴室に入ったときに急激な温度変化によって血圧が大きく変動して、体に悪影響を及ぼすヒートショックや、なんらかの理由で浴槽で溺れた可能性もあるとみて死因を調べています」(捜査関係者) 「テレビで見るときのイメージと違った」 この日、午後3時半を回るころには、東京・渋谷区の一等地にある閑静な住宅街には禍々しい雰囲気が漂っていた。マスコミ関係者や近隣住民などを合わせると、のべ30人以上が中山さんの居住ビル前に詰めかけていた。 1階の入り口前には、灰色のハイエースの警察車両が止められていて、後方部もブルーシートで覆われているため中は確認できない。午後4時を過ぎたころには、居住ビル前には規制線が貼られた。その20分後には、警察車両が走り去っていった。その様子を固唾を飲んで見守っていた女性は、「実は以前、一度だけ中山さんを見かけたことがあって……」と話す。 「ちょうど6月くらいだったかな。このビル前の通りですれ違ったんだけど、テレビで見るときのイメージとは違って、無印とかユニクロで売ってそうな、素朴なお洋服を着ていました。それでもやっぱりスタイルが違うし、オーラもあるからかな。『あ、中山美穂さんだ』ってすぐに気づきました。それからは陰ながら応援してたんだけど、まさかこんなことになるとはねえ、やっぱり言葉が出ませんよ」 中山さんが住んでいたビルは、4階までが事務所などが入るオフィスになっており、5階以上が居住スペースになっている。住民自身が住むフロア以外にはエレベータが止まらない構造のため、同居住ビルの関係者からは「一度も見かけたことがない」と言われるほど、中山さんは影の薄い存在だった。 Photo by…