韓国に激震が走りました。尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領は3日夜、野党側が国政をまひさせているとして「非常戒厳」を宣言しましたが、およそ6時間後に解除しました。一体、何があったのでしょうか?
■“一切の政治活動禁止”大混乱…国会に軍隊突入
3日夜、韓国・ソウルの国会前で、繰り広げられた激しい衝突。国会前には警察車両だけではなく軍の車両も多く詰め掛けています。そして、その周囲を市民が取り囲んでいる状況です。
車の中には迷彩服とヘルメットをつけた軍人が乗っています。
軍の車両の前に座り込み、軍人を追い払って、雄たけびを上げる人々の姿もみえます。
国会の門の前には、警察官が2列になって侵入を防ごうとしていますが、国会の敷地に入ろうとしている市民と警察との間で小競り合いが起きています。
午後10時ごろ、尹大統領は緊急会見に臨みました。
尹大統領
「私は北朝鮮の共産主義勢力から自由大韓民国を守り、国民の自由と幸福を略奪している悪質な反国家勢力を一挙に殲滅(せんめつ)し、自由憲政秩序を守るために非常戒厳令を宣言します」
突如、「非常戒厳」を宣言しました。「戒厳」とは、非常事態の際、立法・行政・司法の事務の全部または一部を軍隊の手にゆだねることを意味します。
「非常戒厳」の発令直後には、韓国の戒厳司令部は、「政治活動の禁止」や「メディアと出版の統制」などを布告しました。
韓国 戒厳司令部
「国会と地方議会、政党の活動と政治的結社、集会、デモなど一切の政治活動を禁じます」
違反者に対しては、令状なしで逮捕や捜索などができ、法律で処罰すると宣言しました。
尹大統領
「私はこの非常戒厳を通じて、亡国の奈落に落ちる自由大韓民国を守り抜く。そのために私はこれまで悪行をしてきた亡国の元凶・反国家勢力を必ず撲滅します」
■1987年の民主化から初めての「非常戒厳」宣言
韓国で45年ぶりに発令された「非常戒厳」。
1980年には、全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領が宣言して、軍政に抗議した市民が多数犠牲となる光州事件が起きました。87年に韓国が民主化してからは初めてのことです。一体、韓国で何が起きているのでしょうか?
コリア・レポート 辺真一編集長
「韓国国内で吹き荒れている尹大統領退陣・弾劾(だんがい)、この運動を戒厳令で潰しにかかっている」
尹大統領は、野党側が政府高官や検察に対し、相次いで弾劾訴追案を提出していて、「司法や行政をまひさせている」としています。
ソウルにある国会の入り口近くでは、警察官と市民がもみ合い、緊張した状況に。
市民
「尹大統領を逮捕しろ」
「尹大統領の命令で来てるだけだから(軍人に)罪はない」
■「非常戒厳」の解除要求 出席議員190人全員が賛成
4日未明には、国会内で本会議が開かれ、「非常戒厳」の解除を要求する決議案に、出席した議員190人全員が賛成し、可決されました。
辺編集長
「国会の力で国会の決議でもって戒厳令の解除を要請する。それによって大統領は解除せざるを得ない」
議会は、「非常戒厳」の解除を宣言しましたが、専門家は、発令直後に公表された戒厳令の内容から先行きは見通せないといいます。
辺編集長
「すでにきのう午後11時の段階で戒厳令が出た。国会、集会活動など禁じるお達し。そのさなかに可決をやっている。だから戒厳令法違反になる」
■観光客「日本に帰れるか不安」
混乱と動揺が広がる韓国国内。番組は、3日に韓国に到着したばかりだという22歳の日本人観光客の女性に話を聞きました。
日本人観光客
「さっきまでヘリコプターとかすごく飛んでいて音もすごくて。外に出ている人たちも、皆一気にいなくなった感じで静かになった」
初めて1人で韓国を訪れたという女性。日中は、人気観光地・ホンデで過ごしていましたが、急な情勢の変化に不安を口にします。
日本人観光客
「まず日本に帰れるかの不安と、あした帰れるかどうかも考えました。帰れなかったらどうしようと考えた」
■発令から6時間で「非常戒厳」解除
そして、尹大統領は次のように述べました。
尹大統領
「国会から戒厳解除の要求があり、投入した軍を撤収させた。ただちに国務会議を通じて、国会の要求を受け入れ、戒厳を解除します」
発令からおよそ6時間。「非常戒厳」の解除の意向を明らかにしました。
警備していた軍が、国会から退去する様子もみえます。
撤退後の国会内には、バリケードが残され、椅子や机などが散乱しているフロアも確認できます。
韓国の日本大使館は、「混乱・衝突など不測の事態が生じる可能性が否定できない」と注意を呼び掛けています。