【中山美穂さん・元夫】 辻仁成さん 「不意の悲しい知らせがあり、昨日は日記をお休みして、一日、祈っていた」

6日に亡くなったことがわかった中山美穂さん。 中山美穂さんの元夫で、作家・ミュージシャンの辻仁成さんが、ウェブマガジン「design stories」で、現在の心境を明かしました。 辻仁成さんは「某月某日、不意の悲しい知らせがあり、昨日は日記をお休みして、一日、祈っていたのである。」と、投稿。 続けて「そして、息子のことが心配なので、昨日はずっと息子君に寄り添っていたのだ。だから、365日、一度も休んだことがなかった日記が書けなかった。」と、綴りました。 そして「できれば、みなさん、息子も頑張っているので、そっとそっと、見守ってやって頂けると、まじで、父ちゃんは嬉しいのである。※ よろしくお願いいたします。」と、記しました。 辻仁成さんは「ぼくの母さんが言いました。『ひとなり、辛い時は、じゃんじゃん炒めて、がんがん食べなさい』昨日は、たくさん話をしたあと、息子と食事をし、母がぼくに託したこの言葉を伝えたのでした。はい、昨日、父ちゃんが見上げていた、ノルマンディの空です。どうぞ、、、、」と、空の写真をアップしました。 最後に、辻仁成さんは「フランス風イカ飯」のレシピを紹介したあと、「日々を丁寧に生きる。いろいろなことがあって、それでも、人生は続きます。息子君が大好きなこのフランス風イカ飯、で、元気になってほしいです。また、明日。」と、綴っています。

死去した中山美穂さん、解剖の結果「事件性なし」 所属事務所「死因は入浴中に起きた不慮の事故」

おととい(6日)自宅で亡くなった、俳優で歌手の中山美穂さんについて、遺体を解剖した結果、事件性がなかったことがわかりました。 おととい正午すぎ、俳優で歌手の中山美穂さんが、東京・渋谷区の自宅の浴室で亡くなっているのが見つかりました。 警視庁はきょう、死因を明らかにするため遺体の解剖を行いましたが、詳しい結果と死因については明らかにしていません。一方で、捜査関係者への取材で、現場や遺体の状況などから事件性がなかったことがわかりました。 また、中山さんの所属事務所はきょう、「事件性はないことが確認され、死因は入浴中に起きた不慮の事故によるものだと判明した」と発表しています。 中山さんはおととい午前9時ごろ、JR品川駅での仕事関係者との待ち合わせに現れず、関係者が中山さんの自宅を訪問したところ、浴槽の中で座った状態で見つかりました。 中山さんはその前日の午後11時すぎ、事務所関係者とメッセージのやりとりをしていたこともわかっています。

「コロッケを片手に交際相手の家に向かったことも」…14歳で家族を支えた「中山美穂さん」の素朴な素顔

『世界中の誰よりきっと』『ただ泣きたくなるの』『ツイてるねノッてるね』などの代表曲や映画『Love Letter』(岩井俊二監督)、ドラマ『毎度おさわがせします』『ママはアイドル!』(ともにTBS系)、『誰かが彼女を愛している』(フジテレビ系)などで活躍した俳優の中山美穂さん。突然の訃報に日本中が悲しみに沈んでいる。 “ミポリン”の愛称で親しまれたトップアイドル 「ミポリン」の愛称で親しまれた、歌手で俳優の中山美穂さん。 12月6日、東京・渋谷区の自宅浴室で死亡しているのが見つかった。54歳だった。 「中山さんはこの日、大阪でコンサートの予定でした。午前9時台の新幹線を予約し、事務所関係者と待ち合わせをしていた。でも、約束の場所に中山さんは現れず、連絡も取れなかった。心配した関係者が自宅に訪れたところ、浴槽に顔を付けた状態だった中山さんを発見したのです。関係者とは朝7時ごろまでメッセージをやり取りしていただけに……」(スポーツ紙芸能担当記者) 1970年生まれの中山さんは、1985年にテレビドラマ『毎度おさわがせします』(TBS系)でデビュー。同年には『C』でアイドル歌手としての活動も始め、1980~90年代に一世を風靡した。 映画、ドラマ、CM、バラエティ番組など、多くの作品にも出演、日本を代表するトップ俳優のひとりだった。 前出の芸能担当記者は、まだ彼女が駆け出しのころの仕事ぶりをよく覚えていた。 「中山さんは芯が強く、誰よりも仕事に真剣でした。それに同年代の子よりもどこか大人びていた。中山さんが10代後半ごろのある現場でのことです。ほかのアイドルたちはキャピキャピと賑やかに過ごしていましたが、中山さんはそこから少し距離を置き、一人で黙々と仕事の準備をしていたのが今でも印象に残っています」(前出の芸能担当記者、「」も) その真摯な姿勢は、「幼いころの家庭環境も影響があるのではないか」という。 14歳で芸能界に―結婚、出産、そして離婚 「中山さんは幼いころに両親が離婚。妹で俳優の中山忍さん(51歳)とともに親戚の家に預けられたこともありました。14歳で芸能界に入ってからは家族の生活を中山さんが支えていました」 前出の芸能記者は、かつて遭遇した中山さんの意外な姿を覚えていた。 「当時、あるタレントとの交際が噂されていたので、中山さんの周辺を張り込んでいました。そうしたら中山さんが商店街のお総菜屋さんでコロッケやおかずを購入して、相手の家に向かったのです」 当時はトップアイドルだった中山さん。あまりにも庶民的な姿に驚いたという。 「複雑な生い立ちで育ち、青春時代を芸能界で家族を支えるために頑張っていた。同年代の女の子とはかけ離れた暮らしを送る中、普通の生活への憧れもあったのではないでしょうか。だからなのか、1990年代前半には仕事の葛藤を吐露することもありました」 私生活では、2002年に作家でミュージシャンの辻仁成さんと結婚。生活の拠点をパリに移し、04年に長男を出産した。 「ですが14年に離婚。中山さんは一人で帰国しました。最愛の息子との別れは苦渋の決断だったそうです。そうした辛い思いや経験をしたこともあり、帰国後はますます仕事に打ち込み、アーティストとしても新しいことに挑戦してきた。そして日本の家族、きょうだいもとても大切にしていました。 特に妹の忍さんのことを中山さんは『大好き』『妹でよかった』とその溺愛ぶりを語ることも。一方の忍さんもテレビ番組で中山さんに『お姉ちゃんが大好きすぎる』とラブコール。ファンクラブのイベントにもすべて出席するほどの“姉愛”を見せていました」 そんな中山さんがオフの時、“かけがえのない人たち”に見せていた“もうひとつの顔”とは――。